今日の勉強会は
「一坪里山」の取り組み
現在、キキョウやリンドウなど身近な樹木や草花が絶滅危惧種
に指定されています。
それらの自生種を家の庭で育てて株分けしていこうという試みを
「町の工務店ネット」がしておられます。
日本のそれぞれの地域に自生種がありますが、除草薬の散布などによって
減りつづけ、代わりに強い外来種がはびこっています。
この状況を何とかするため、一般家庭の庭を利用して増やしていくことを
考案しました。ただ園芸店などに「流通している植物」ではないので
自生種は何か調べて株分けしなければなりません。
生物多様性とはその土地に自生していたものを、しっかり保存することが
基本だそうです。まず身近な自生種に目を向けることが大切ですが、
その身近なところから消え去ろうとしています。
家の庭に自生種を植える取り組みが広がれば、地域の自生種に
関心が向いて、守っていこうという機運が高まるかもしれません。
古来から続く景観を守ることは、日本人の美意識も守ることに
つながります。
私たちの仕事でも、その地域にあった自生種をメインに庭をつくるなど、
工夫できることがあると思います。
藤井
そら企業理念
-------------------------------------------------------
【 企業理念 】 そらや / そら庭設計事務所
「真の価値」 を伝える。
それによって磨かれる
家族、地域、子どもたち の感性
-------------------------------------------------------
第3期 早朝勉強会内容・・
月曜日 : 「ほぼ日」
火曜日 : 「致知」
木曜日 : 「論語」
金曜日 : 「庭」
土曜日 : 「Free」
2013年10月31日木曜日
2013年10月30日水曜日
2013.10.30 駐車スペースの話
今日の勉強会は庭の勉強
駐車スペースの配置等について
駐車スペースは庭の面積にしめる割合が大きく、
庭を考えるとき最初に検討することが多くあります。
道路の幅、駐車のしやすさ、家の間取りとの関係など、
検討する部分が多いのですが、何となくでスペースを
取られている場合、実際には車が入りにくかったり、
家の中との関係がうまくいかなかったりします。
本来、駐車スペースは家の間取りと一体で考えておく
べきところで、後で考えるのはとても難しいのです。
逆に、駐車スペースに限らず家と庭が一緒に考えられた家は、
敷地全体での整合性がとれていて、狭い庭でも機能的で快適に
過ごすことができます。
家を設計する場合、中と外の関係は重要なポイントで、例えば部屋の外が
駐車場なのか緑の芝生かでは中の設計も当然変わってくるものです。
だからこそ家と庭は同時に一体的に考えることが重要で、駐車スペースの位置は
後から考えるというのは、結局家の設計にも無理が出ていると思います。
藤井
駐車スペースの配置等について
駐車スペースは庭の面積にしめる割合が大きく、
庭を考えるとき最初に検討することが多くあります。
道路の幅、駐車のしやすさ、家の間取りとの関係など、
検討する部分が多いのですが、何となくでスペースを
取られている場合、実際には車が入りにくかったり、
家の中との関係がうまくいかなかったりします。
本来、駐車スペースは家の間取りと一体で考えておく
べきところで、後で考えるのはとても難しいのです。
逆に、駐車スペースに限らず家と庭が一緒に考えられた家は、
敷地全体での整合性がとれていて、狭い庭でも機能的で快適に
過ごすことができます。
家を設計する場合、中と外の関係は重要なポイントで、例えば部屋の外が
駐車場なのか緑の芝生かでは中の設計も当然変わってくるものです。
だからこそ家と庭は同時に一体的に考えることが重要で、駐車スペースの位置は
後から考えるというのは、結局家の設計にも無理が出ていると思います。
藤井
2013年10月29日火曜日
2013.10.29 原点からはじめる
今日の勉強会は致知2013年11月号から
片足は理想の土に、
もう一方の足は現実の地に
木次乳業相談役 佐藤忠吉さん
佐藤さんは日本で最初に低温長時間殺菌の牛乳を販売した方です。
若い頃、農薬と化学肥料の影響によって牛たちの様子がおかしくなることに
気づき、有機農法で牧草を育て安全でおいしい牛乳を目指します。
当時は有機農業という考え方自体珍しかった時代だったために周囲からの誤解を
受けたこともあったようです。
また生乳は当時不足していて、売り手市場になっていました。しかしそんな中でも
低温殺菌の牛乳づくりのために原乳の質にこだわり、実験を続けました。
勉強会で何人かの人を取り上げていますが
道を深めようとする人の共通点は、利益主義から離れて必ず原点に戻り、
人間にとって自然な形を見つけているところです。
自然の摂理にかなっているため無理がなく、自然と人々の支持を得ていきます。
それが一過性のものでないのは、人が心のより深い部分で価値を感じているから
だと思います。
また佐藤さんは93歳の今でも農業を通した共同体の活動をされていますが、
自分を動かしているのは好奇心だとおっしゃっています。
一、二年の利益でなく、百年二百年を見据えた好奇心があるからこそ、
楽しみながら探求していけるのだと思います。
藤井
片足は理想の土に、
もう一方の足は現実の地に
木次乳業相談役 佐藤忠吉さん
佐藤さんは日本で最初に低温長時間殺菌の牛乳を販売した方です。
若い頃、農薬と化学肥料の影響によって牛たちの様子がおかしくなることに
気づき、有機農法で牧草を育て安全でおいしい牛乳を目指します。
当時は有機農業という考え方自体珍しかった時代だったために周囲からの誤解を
受けたこともあったようです。
また生乳は当時不足していて、売り手市場になっていました。しかしそんな中でも
低温殺菌の牛乳づくりのために原乳の質にこだわり、実験を続けました。
勉強会で何人かの人を取り上げていますが
道を深めようとする人の共通点は、利益主義から離れて必ず原点に戻り、
人間にとって自然な形を見つけているところです。
自然の摂理にかなっているため無理がなく、自然と人々の支持を得ていきます。
それが一過性のものでないのは、人が心のより深い部分で価値を感じているから
だと思います。
また佐藤さんは93歳の今でも農業を通した共同体の活動をされていますが、
自分を動かしているのは好奇心だとおっしゃっています。
一、二年の利益でなく、百年二百年を見据えた好奇心があるからこそ、
楽しみながら探求していけるのだと思います。
藤井
2013年10月28日月曜日
2013.10.28 曲肱の楽しみ
今日の勉強会は論語です。
子曰く、
疏食を飯い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。
楽しみ亦その中に在り。不義にして富且つ貴きは、
我に於いて浮雲の如し。
孔子が言われた。粗末な食事をして水を飲み、肱を曲げて
枕の代わりにして寝る。楽しみとは、そんな中にあるものである。
道に外れた手段で金持ちになり、偉い人になったなどと言われても、
そんなものは私にとって、浮雲のようにはかないものである。
この教えから、貧しいながらの楽しみを「曲肱(きょっこう)の楽しみ」といいます。
仕事が好きな人、本を読むのが好きな人、スポーツが好きな人、
それぞれに楽しいと思うことは色々だと思います。
そして本当の楽しみかたを知っている人ほどお金とは関係なく
楽しめるのではないでしょうか。
例えば旅行が本当に好きな人ならひと駅先への旅でも楽しみを
見つけられるでしょうし、何かが本当に好きなら案外お金やその他の
条件(時間がない、道具がない等)の意味が薄れてくると思います。
問題なのは楽しみもなく目的なく生きることだという意見がありました。
生きる上で何に重きを置くのか見失ってしまうと、
お金に走ってしまったり、条件ばかり気にするのかもしれません。
そんな姿を子供たちに見せるのもいい事ではありません。
また、楽しみを深くするためには、学ぶ姿勢が重要かもしれません。
例えばゴルフでも、風は強い前提、ミスはする前提という心でいれば、
強風を楽しめるし、ミスからのリカバリーを楽しめるように
なるのではないでしょうか。
仕事なら厳しい条件を前提に考えていれば、余裕を持って
対応でき、楽しめる場面が増えていくと思います。
藤井
子曰く、
疏食を飯い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。
楽しみ亦その中に在り。不義にして富且つ貴きは、
我に於いて浮雲の如し。
孔子が言われた。粗末な食事をして水を飲み、肱を曲げて
枕の代わりにして寝る。楽しみとは、そんな中にあるものである。
道に外れた手段で金持ちになり、偉い人になったなどと言われても、
そんなものは私にとって、浮雲のようにはかないものである。
この教えから、貧しいながらの楽しみを「曲肱(きょっこう)の楽しみ」といいます。
仕事が好きな人、本を読むのが好きな人、スポーツが好きな人、
それぞれに楽しいと思うことは色々だと思います。
そして本当の楽しみかたを知っている人ほどお金とは関係なく
楽しめるのではないでしょうか。
例えば旅行が本当に好きな人ならひと駅先への旅でも楽しみを
見つけられるでしょうし、何かが本当に好きなら案外お金やその他の
条件(時間がない、道具がない等)の意味が薄れてくると思います。
問題なのは楽しみもなく目的なく生きることだという意見がありました。
生きる上で何に重きを置くのか見失ってしまうと、
お金に走ってしまったり、条件ばかり気にするのかもしれません。
そんな姿を子供たちに見せるのもいい事ではありません。
また、楽しみを深くするためには、学ぶ姿勢が重要かもしれません。
例えばゴルフでも、風は強い前提、ミスはする前提という心でいれば、
強風を楽しめるし、ミスからのリカバリーを楽しめるように
なるのではないでしょうか。
仕事なら厳しい条件を前提に考えていれば、余裕を持って
対応でき、楽しめる場面が増えていくと思います。
藤井
2013年10月25日金曜日
2013.10.25 共に街をつくる
今日の勉強会は
庭2013年冬号から
対話が導く 樹木が映える建築の方程式
荻野寿也(作庭家)×伊礼智(建築家)
荻野さんはもともと建築が好きでしたが、庭と建築がいい関係を築けて
いない事には疑問を感じていました。
そして自分の家を建てる際、唯一庭が作為的でないと感じた建築家・坂本昭さんに
設計を依頼します。
そしてその坂本さんに促される形で独学で勉強し造園の仕事についたという経歴を
持っています。
その荻野さんの「建築と樹木が寄り添うことで心地よい空間が生まれる」
という考えに共感した伊礼智さんとの協働が始まります。
伊礼さんは「緑を建築に引き寄せたい」という荻野さんからの意見も
柔軟に取り入れながら家を設計していき、実際に建った建築には家と庭の
相乗効果が表れています。
伊礼さんは「標準化」に取り組んでおり、これからの住宅の庭の
基準とするべきものとして考えたのかもしれません。
この「緑を建築に引き寄せたい」という考えは「建築を緑に引き寄せたい」
とも読めて、二つを平等に扱いたいという気持ちがよく表れていると思います。
この雑誌も庭の雑誌だけあって、この特集の題も「樹木が映えるように建築をどうすべきか」
と言っているような感じです。ですが荻野さんも、大北望さんも二人の建築家も、
どちらが上かといったような昔の考えにとらわれずに、共にいい空間をつくり、
街を良くしたいという思いだと感じます。
庭と建築は協力していくことで街を良くしていけるという考え方が標準化されると
いいと思います。
藤井
庭2013年冬号から
対話が導く 樹木が映える建築の方程式
荻野寿也(作庭家)×伊礼智(建築家)
荻野さんはもともと建築が好きでしたが、庭と建築がいい関係を築けて
いない事には疑問を感じていました。
そして自分の家を建てる際、唯一庭が作為的でないと感じた建築家・坂本昭さんに
設計を依頼します。
そしてその坂本さんに促される形で独学で勉強し造園の仕事についたという経歴を
持っています。
その荻野さんの「建築と樹木が寄り添うことで心地よい空間が生まれる」
という考えに共感した伊礼智さんとの協働が始まります。
伊礼さんは「緑を建築に引き寄せたい」という荻野さんからの意見も
柔軟に取り入れながら家を設計していき、実際に建った建築には家と庭の
相乗効果が表れています。
伊礼さんは「標準化」に取り組んでおり、これからの住宅の庭の
基準とするべきものとして考えたのかもしれません。
この「緑を建築に引き寄せたい」という考えは「建築を緑に引き寄せたい」
とも読めて、二つを平等に扱いたいという気持ちがよく表れていると思います。
この雑誌も庭の雑誌だけあって、この特集の題も「樹木が映えるように建築をどうすべきか」
と言っているような感じです。ですが荻野さんも、大北望さんも二人の建築家も、
どちらが上かといったような昔の考えにとらわれずに、共にいい空間をつくり、
街を良くしたいという思いだと感じます。
庭と建築は協力していくことで街を良くしていけるという考え方が標準化されると
いいと思います。
藤井
2013年10月24日木曜日
2013.10.24 建築が問いかけるもの
今日の勉強会は新建築10月号から
夢の病院は「家」
家と治療の両立ををめざして
手塚貴晴+手塚由比 (建築家)
二人が設計したチャイルドケモハウスは、小児がんと闘う子供たちと
家族にかかる負担を少しでも軽くするために考えられた施設です。
小児科医院を囲むように集合住宅が配置されており、小児がんの子供たちが
家のような環境で家族と共に暮らしながら安心して治療を受けることができます。
7年前、小児がん病棟を見学した時最初のアイデアが浮かび、
それから議論を重ね一つの建築が生みだされました。
病院ならではの厳しい衛生基準や緊急体制を守りつつ、
小児がんの子供たちと親、きょうだいが一緒にいられる心地よい空間が、
病院としての機能を妨げることなく実現されています。
建築家の役割として、心地よい空間をつくることの他に、
建築を通して社会に穴を穿つ役割があるように思います。
現行の当たり前の考え方に、実は議論の余地があるということを
示す役割です。
今回の建築はまさに、社会に疑問を投げかけるものです。
子供のそばにいたい、手料理を食べさせてやりたい、家族といっしょに
いたいという当たり前の願いが、小児がんの子供たちと家族には
どうしてかなわないのか、という問いかけがあります。
また、病院のまわりを家で囲むといったアイデアレベルの話から
それを7年間温めつづけて、計画、構造、設備、コストなどの
条件をクリアして実際の建築まで至った、その執念と技量のすごさが、
この建築の図面の線の一本一本から伝わってくるように感じます。
藤井
夢の病院は「家」
家と治療の両立ををめざして
手塚貴晴+手塚由比 (建築家)
二人が設計したチャイルドケモハウスは、小児がんと闘う子供たちと
家族にかかる負担を少しでも軽くするために考えられた施設です。
小児科医院を囲むように集合住宅が配置されており、小児がんの子供たちが
家のような環境で家族と共に暮らしながら安心して治療を受けることができます。
7年前、小児がん病棟を見学した時最初のアイデアが浮かび、
それから議論を重ね一つの建築が生みだされました。
病院ならではの厳しい衛生基準や緊急体制を守りつつ、
小児がんの子供たちと親、きょうだいが一緒にいられる心地よい空間が、
病院としての機能を妨げることなく実現されています。
建築家の役割として、心地よい空間をつくることの他に、
建築を通して社会に穴を穿つ役割があるように思います。
現行の当たり前の考え方に、実は議論の余地があるということを
示す役割です。
今回の建築はまさに、社会に疑問を投げかけるものです。
子供のそばにいたい、手料理を食べさせてやりたい、家族といっしょに
いたいという当たり前の願いが、小児がんの子供たちと家族には
どうしてかなわないのか、という問いかけがあります。
また、病院のまわりを家で囲むといったアイデアレベルの話から
それを7年間温めつづけて、計画、構造、設備、コストなどの
条件をクリアして実際の建築まで至った、その執念と技量のすごさが、
この建築の図面の線の一本一本から伝わってくるように感じます。
藤井
2013年10月22日火曜日
2013.10.22 選ぶのは患者さん
今日の勉強会は致知2013年11月号から
真実は最後に必ず打ち勝つ
医の道を深めて今
ナチュラルクリニック代々木院長 銀谷翠さん
銀谷さんは精神病の患者さんに薬を投与する従来の
対処療法でなく、栄養学に基づいた食事療法によって
脳のそのものの働きを良くしていく治療をされています。
日本では精神科医が安易に薬を大量に処方することが
最近問題視されてきました。効果がないばかりか副作用で
余計に患者さんが苦しんでいることも起きています。
そんななか銀谷さんの治療は、できるだけ薬を使わずに
治したいと思う患者さんに新しい選択肢を与えるものだと思います。
またカウンセリングと精神病院があって、どちらに行けばよいのか
両者の間に隔たりがあるイメージがあって迷ってしまうと思いますが、
カウンセリングと医者の連携のしくみをつくり、患者さんを受け入れたほうが
悩んでいる人も気軽に相談できたりすると思います。
入りやすい入口があって薬は段階的に使っていくというグラデーション
があったほうがいいと感じます。
仲間との話では、家や庭の会社の考え方がそれぞれ違っているように、
病院によって治療方針が違っていてもいいのではないかという
意見がありました。
私はそれを患者さんが選べる体制ならいいと思います。
病院の先生に本当にこの薬がいるのかと質問するのは少し勇気のいるところですが、
その時の反応などからも病院の性格が見えるかもしれません。
また例えば少ない薬や食事療法で効果を上げる病院が評価を上げれば、
そうでない病院は自然に淘汰されることも期待でき、全体として精神病の
治療レベルが良くなっていくかもしれません。
薬の量といった専門的なレベルの話と、患者さんの立場からの話が
両方あって、理想的な治療方法が確立されていくのだと思います。
藤井
真実は最後に必ず打ち勝つ
医の道を深めて今
ナチュラルクリニック代々木院長 銀谷翠さん
銀谷さんは精神病の患者さんに薬を投与する従来の
対処療法でなく、栄養学に基づいた食事療法によって
脳のそのものの働きを良くしていく治療をされています。
日本では精神科医が安易に薬を大量に処方することが
最近問題視されてきました。効果がないばかりか副作用で
余計に患者さんが苦しんでいることも起きています。
そんななか銀谷さんの治療は、できるだけ薬を使わずに
治したいと思う患者さんに新しい選択肢を与えるものだと思います。
またカウンセリングと精神病院があって、どちらに行けばよいのか
両者の間に隔たりがあるイメージがあって迷ってしまうと思いますが、
カウンセリングと医者の連携のしくみをつくり、患者さんを受け入れたほうが
悩んでいる人も気軽に相談できたりすると思います。
入りやすい入口があって薬は段階的に使っていくというグラデーション
があったほうがいいと感じます。
仲間との話では、家や庭の会社の考え方がそれぞれ違っているように、
病院によって治療方針が違っていてもいいのではないかという
意見がありました。
私はそれを患者さんが選べる体制ならいいと思います。
病院の先生に本当にこの薬がいるのかと質問するのは少し勇気のいるところですが、
その時の反応などからも病院の性格が見えるかもしれません。
また例えば少ない薬や食事療法で効果を上げる病院が評価を上げれば、
そうでない病院は自然に淘汰されることも期待でき、全体として精神病の
治療レベルが良くなっていくかもしれません。
薬の量といった専門的なレベルの話と、患者さんの立場からの話が
両方あって、理想的な治療方法が確立されていくのだと思います。
藤井
2013年10月21日月曜日
2013.10.21 信頼
今日の勉強会は論語から
子曰く、民は信なくんば立たず。
孔子が言われた。政治を行う者と人民との間の
信頼が失われれば、国家は立ちゆかない。
人民と為政者に限らず、どんな人間関係でも最も大切なことが
「信頼」です。当たり前のことですが、
それだけに意識されないことも多いと思います。
会社で言うと上司と部下、スタッフ同士の信頼関係がうまくいってないと
業務のやりにくさに繋がりますし、なによりお客様に伝わります。
また例えばお客様と信頼関係ができていれば、仕事を断ることになっても
それまでの対応に対して評価を頂くことも有りうるという仲間の意見が
ありました。
ビジネスと言っても結局最後は人間同士の関係で、数値ではなく
「信頼」というあいまいなもので結果が左右されることもあります。
だからといって 「ビジネスのために信頼を得るスキル」ではなくて、
自分がどうしたいか、人の役に立つにはどうすればいいかを考えたほうが、
よっぽど信頼を得ることができると思います。
藤井
子曰く、民は信なくんば立たず。
孔子が言われた。政治を行う者と人民との間の
信頼が失われれば、国家は立ちゆかない。
人民と為政者に限らず、どんな人間関係でも最も大切なことが
「信頼」です。当たり前のことですが、
それだけに意識されないことも多いと思います。
会社で言うと上司と部下、スタッフ同士の信頼関係がうまくいってないと
業務のやりにくさに繋がりますし、なによりお客様に伝わります。
また例えばお客様と信頼関係ができていれば、仕事を断ることになっても
それまでの対応に対して評価を頂くことも有りうるという仲間の意見が
ありました。
ビジネスと言っても結局最後は人間同士の関係で、数値ではなく
「信頼」というあいまいなもので結果が左右されることもあります。
だからといって 「ビジネスのために信頼を得るスキル」ではなくて、
自分がどうしたいか、人の役に立つにはどうすればいいかを考えたほうが、
よっぽど信頼を得ることができると思います。
藤井
2013年10月19日土曜日
2013.10.19 恩を返す
今日は二宮金次郎から
物を担保とせず、心を担保とせよ
金次郎は奉公先で高利の借金に苦しむのを見て、
自分のお金を基金に人々からお金を集め、それを必要な人に貸す
会員制の相互扶助金融システムをつくり、「五常講貸金」と名付けました。
五常とは儒教が定めた五つの徳(仁・義・礼・智・信)のことで、
これが守れる人間なら信用してお金を貸せるとして、
会員として受け入れました。
物ではなく、人間関係を基にした金融システムです。
借りた人は貸した人への感謝が生まれ、間違いなく返せるよう
努力し約束を守ろうとします。こうした人の心を担保にお金を
貸すのです。
仲間との話で恩という言葉がでました。
人がしてくれた事を忘れない、それを倍にして返す気持ちが大事。
自分のことを考えてくれチャンスを与えてくれた人。
いつも無理を聞いてくれる施工する仲間。
対等な立場で庭のことを一緒に悩んでくれるお客様。
その気持ちを大切にすると自然とそんな人たちが集まってくる。
その人たちのためにまた頑張ろうと思える。
金次郎の基金も無利子だったそうですが、実際には感謝の気持ちからお礼の
形で利子を払う者も多く、またそれを元に貸せる人を増やしていけたようです。
また恩を返すといっても特に仕事の場合は返せるだけの実力が必要で、
日々努力して技術を高めていくことも大切だと思います。
藤井
物を担保とせず、心を担保とせよ
金次郎は奉公先で高利の借金に苦しむのを見て、
自分のお金を基金に人々からお金を集め、それを必要な人に貸す
会員制の相互扶助金融システムをつくり、「五常講貸金」と名付けました。
五常とは儒教が定めた五つの徳(仁・義・礼・智・信)のことで、
これが守れる人間なら信用してお金を貸せるとして、
会員として受け入れました。
物ではなく、人間関係を基にした金融システムです。
借りた人は貸した人への感謝が生まれ、間違いなく返せるよう
努力し約束を守ろうとします。こうした人の心を担保にお金を
貸すのです。
仲間との話で恩という言葉がでました。
人がしてくれた事を忘れない、それを倍にして返す気持ちが大事。
自分のことを考えてくれチャンスを与えてくれた人。
いつも無理を聞いてくれる施工する仲間。
対等な立場で庭のことを一緒に悩んでくれるお客様。
その気持ちを大切にすると自然とそんな人たちが集まってくる。
その人たちのためにまた頑張ろうと思える。
金次郎の基金も無利子だったそうですが、実際には感謝の気持ちからお礼の
形で利子を払う者も多く、またそれを元に貸せる人を増やしていけたようです。
また恩を返すといっても特に仕事の場合は返せるだけの実力が必要で、
日々努力して技術を高めていくことも大切だと思います。
藤井
2013年10月18日金曜日
2013.10.18 空間の性格
今日の勉強会は
庭2013年冬号から
空間感覚を共有できることが信頼を生み出す
造園家・大北望さんと建築家・横内敏人さんの対話
空間というのは、ものとものの間にある空っぽ
に名前がついたものだと思います。
何もないところを「豊かな空間」というのも不思議ですが、
まわりの何かが関係して、豊かになっているのです。
その何かは簡単に言えば、建築の場合、柱や壁や天井、
庭の場合は木々の幹、枝、葉などだと思います。
そして建築にも庭にも言えるのが、その場所にあった空間を
つくらなくてはならない、ということです。
オフィスでの空間と、家での空間は違ったものが求められます。
寺社の庭と、家の庭もそうです。
それぞれが持っている性格にあったものをつくらなければ、
豊かな空間とはいえないと思います。
そこで建築と庭がともにその場所の性格をつかんでふさわしい空間が
できれば、相乗効果でその空間をよりよいものにできます。
その時はもちろん建築と庭のあいだの「空間」も豊かでなければなりません。
また同じ家といってもそれぞれに性格は違います。
実際に庭をつくっていくと、いろんな制約があって
すべての部分を思いどおりにはできない面もあります。
しかし空間の性格をつかんでプランの骨となる部分を
しっかりつくっておくと、それが全体の軸となって庭の力に
なります。
一部分が一つの庭、地域の庭へとつながっていく感覚
が大切だと思います。
藤井
庭2013年冬号から
空間感覚を共有できることが信頼を生み出す
造園家・大北望さんと建築家・横内敏人さんの対話
空間というのは、ものとものの間にある空っぽ
に名前がついたものだと思います。
何もないところを「豊かな空間」というのも不思議ですが、
まわりの何かが関係して、豊かになっているのです。
その何かは簡単に言えば、建築の場合、柱や壁や天井、
庭の場合は木々の幹、枝、葉などだと思います。
そして建築にも庭にも言えるのが、その場所にあった空間を
つくらなくてはならない、ということです。
オフィスでの空間と、家での空間は違ったものが求められます。
寺社の庭と、家の庭もそうです。
それぞれが持っている性格にあったものをつくらなければ、
豊かな空間とはいえないと思います。
そこで建築と庭がともにその場所の性格をつかんでふさわしい空間が
できれば、相乗効果でその空間をよりよいものにできます。
その時はもちろん建築と庭のあいだの「空間」も豊かでなければなりません。
また同じ家といってもそれぞれに性格は違います。
実際に庭をつくっていくと、いろんな制約があって
すべての部分を思いどおりにはできない面もあります。
しかし空間の性格をつかんでプランの骨となる部分を
しっかりつくっておくと、それが全体の軸となって庭の力に
なります。
一部分が一つの庭、地域の庭へとつながっていく感覚
が大切だと思います。
藤井
2013年10月17日木曜日
2013.10.17 まち並み
今日の勉強会は
室内のバックナンバーから
目ざわりデザイン 日本のまち並み
石山修武(建築家)
まちの景色はその国、その地域の文化的な実力を示す。
1950年代のまち並みまでは質素だが統一感のあるまち並みがあった。
家が経済を成長させる目標の一つになり、電化製品、自動車と同じ類の
消費の対象としての家となり、それの集合したものが新興住宅地の
まち並みである。
家の価値観をどこに置くかで街並みも変わってくると思います。
どのメーカーだとか坪単価がいくらという評価ではなくて、
きちんと風土とその家の家風に沿ったものになっているかが
本来の価値だと思います。
またその地域にあった物を建てるので一軒一軒が似てきて、
結果的にまち並みとしても統一感が出てきます。
文化的な評価にそった「いい家」、「いいまち並み」というものが
どんなものか立ち止まって考えてみてもいいと思います。
例えば素材で言うと、私たちが庭づくりをする場合でも
長く価値を感じられるものがいいと考え、既製品よりは自然の素材を
おすすめしていますが、それは建築でも同じだと思います。
素材だけでなくデザイン、構造、機能などが気候風土や人の暮らし
からみてバランスがとれていれば、自然といい家、いいまち並みに
なるのではないでしょうか。
それができれば多少その時々の流行と離れても、
いいものはいいという普遍的な説得力をもつものになり、
長く住み継がれる価値のあるものになると思います。
藤井
室内のバックナンバーから
目ざわりデザイン 日本のまち並み
石山修武(建築家)
まちの景色はその国、その地域の文化的な実力を示す。
1950年代のまち並みまでは質素だが統一感のあるまち並みがあった。
家が経済を成長させる目標の一つになり、電化製品、自動車と同じ類の
消費の対象としての家となり、それの集合したものが新興住宅地の
まち並みである。
家の価値観をどこに置くかで街並みも変わってくると思います。
どのメーカーだとか坪単価がいくらという評価ではなくて、
きちんと風土とその家の家風に沿ったものになっているかが
本来の価値だと思います。
またその地域にあった物を建てるので一軒一軒が似てきて、
結果的にまち並みとしても統一感が出てきます。
文化的な評価にそった「いい家」、「いいまち並み」というものが
どんなものか立ち止まって考えてみてもいいと思います。
例えば素材で言うと、私たちが庭づくりをする場合でも
長く価値を感じられるものがいいと考え、既製品よりは自然の素材を
おすすめしていますが、それは建築でも同じだと思います。
素材だけでなくデザイン、構造、機能などが気候風土や人の暮らし
からみてバランスがとれていれば、自然といい家、いいまち並みに
なるのではないでしょうか。
それができれば多少その時々の流行と離れても、
いいものはいいという普遍的な説得力をもつものになり、
長く住み継がれる価値のあるものになると思います。
藤井
2013年10月16日水曜日
2013.10.16 コツの使い方
今日の勉強会は
ほぼ日刊イトイ新聞からコツの話です。
物事を行う上での勘所のことをコツといいます。
仕事、スポーツ、料理などなんでも続けていると一定の成果を
要領よくこなせるようになります。
ただ「一定の」というところが考えもので、
コツが固定観念になって発想の邪魔になったりすると、
それ以上の発展が難しくなる面があります。
ただ知恵をつけていくこと自体は悪いことではないのですから、
いったんつかんだコツをあえて疑ってみることが大事だと感じます。
また既に出来ている人にコツを教えてもらうということがあります。
私はコツを教わるには一回でも自分が苦労してからでいいという
考え方です。それはなぜそのやり方の方が良いのかがよく分かるからです。
ただそこで四苦八苦しているあいだに他のところで成果をだせるという
意見もあり、コツ一つでも考え方は様々です。
使い方もいろいろあると思います。
例えば、仕事を今持っているコツでこなすのか、新たな挑戦をするのかの
二者択一ではなくて、コツを踏まえつつある部分では挑戦する、
また大きく変えながらも細かい部分はセオリーを重視するというような
柔らかい使い方をしたいものです。
藤井
ほぼ日刊イトイ新聞からコツの話です。
物事を行う上での勘所のことをコツといいます。
仕事、スポーツ、料理などなんでも続けていると一定の成果を
要領よくこなせるようになります。
ただ「一定の」というところが考えもので、
コツが固定観念になって発想の邪魔になったりすると、
それ以上の発展が難しくなる面があります。
ただ知恵をつけていくこと自体は悪いことではないのですから、
いったんつかんだコツをあえて疑ってみることが大事だと感じます。
また既に出来ている人にコツを教えてもらうということがあります。
私はコツを教わるには一回でも自分が苦労してからでいいという
考え方です。それはなぜそのやり方の方が良いのかがよく分かるからです。
ただそこで四苦八苦しているあいだに他のところで成果をだせるという
意見もあり、コツ一つでも考え方は様々です。
使い方もいろいろあると思います。
例えば、仕事を今持っているコツでこなすのか、新たな挑戦をするのかの
二者択一ではなくて、コツを踏まえつつある部分では挑戦する、
また大きく変えながらも細かい部分はセオリーを重視するというような
柔らかい使い方をしたいものです。
藤井
2013年10月15日火曜日
2013.10.15 思い出に気づく
今日の勉強は致知11月号から
「幻の技法、現代に蘇れり」
彫刻家 関頑亭(せき がんてい)さん
関さんは九十五歳の彫刻家です。
小さなかけらだけを頼りに「脱活乾漆」という奈良時代の製法を蘇らせ、
四十年の歳月をかけて弘法大師像を完成させた方です。
奈良時代の技法で四十年かけて製作するという
あまりに時間軸の違う仕事に、途方もないものを感じます。
この技法を再現される過程で、子供のころ見た近江傘の蕨糊が
ヒントになったそうです。
関さんに限らず、壁にぶつかって原点に返った時、
原風景が影響してヒントをくれたりすることが多いように感じます。
関さんはまた、自然を自分で体感することで初めて分かることがあるとおっしゃっています。
たとえば山の中で、水の姿が目で見えなくても、耳を澄ませば音が微かにすると感じて、
近づいていくと湧水がある。
音には形がないように思えるが、本当は実体がある。心深く見れば見えてくる。
これを「目で見るものを耳で見て、耳で聴くものを目で聴く。」と表現されています。
そして天然自然の人間はそういう力を持っていると言われます。
私たちは庭づくりの際に積極的に緑を入れています。
そして当初は特に緑に興味がなかった施主さんが、庭ができてみると
積極的に緑のお世話をされていたのでお話を伺うと、幼少期の思い出と
緑との触れ合いがセットになっていることがあります。
そのことを実際に緑の庭をつくることで思い出されたのだと思います。
なんとか木を一本でも二本でも入れるようにしているのは、
福山に住む人の多くが、幼少期の思い出の中に、木が風に揺れる
原風景を持っていて、安らぎを感じられるからでもあります。
そして現代の家に住む子供たちにもそういう思い出を持っておいてほしい
という思いがあります。便利な土地でも、お家で風を感じられるようにしたい。
どんなものが流行していても、自然との触れ合いは普遍的なものだと思います。
藤井
「幻の技法、現代に蘇れり」
彫刻家 関頑亭(せき がんてい)さん
関さんは九十五歳の彫刻家です。
小さなかけらだけを頼りに「脱活乾漆」という奈良時代の製法を蘇らせ、
四十年の歳月をかけて弘法大師像を完成させた方です。
奈良時代の技法で四十年かけて製作するという
あまりに時間軸の違う仕事に、途方もないものを感じます。
この技法を再現される過程で、子供のころ見た近江傘の蕨糊が
ヒントになったそうです。
関さんに限らず、壁にぶつかって原点に返った時、
原風景が影響してヒントをくれたりすることが多いように感じます。
関さんはまた、自然を自分で体感することで初めて分かることがあるとおっしゃっています。
たとえば山の中で、水の姿が目で見えなくても、耳を澄ませば音が微かにすると感じて、
近づいていくと湧水がある。
音には形がないように思えるが、本当は実体がある。心深く見れば見えてくる。
これを「目で見るものを耳で見て、耳で聴くものを目で聴く。」と表現されています。
そして天然自然の人間はそういう力を持っていると言われます。
私たちは庭づくりの際に積極的に緑を入れています。
そして当初は特に緑に興味がなかった施主さんが、庭ができてみると
積極的に緑のお世話をされていたのでお話を伺うと、幼少期の思い出と
緑との触れ合いがセットになっていることがあります。
そのことを実際に緑の庭をつくることで思い出されたのだと思います。
なんとか木を一本でも二本でも入れるようにしているのは、
福山に住む人の多くが、幼少期の思い出の中に、木が風に揺れる
原風景を持っていて、安らぎを感じられるからでもあります。
そして現代の家に住む子供たちにもそういう思い出を持っておいてほしい
という思いがあります。便利な土地でも、お家で風を感じられるようにしたい。
どんなものが流行していても、自然との触れ合いは普遍的なものだと思います。
藤井
2013年10月12日土曜日
2013.10.12 空気を設計する
今日の勉強会は
「室内」のバックナンバーから
建築家が設計した家を改装して
建築家の長尾亜子さんはある家のリフォームを依頼されます。
それは女性建築家のパイオニアである林雅子さんが設計した
「ギャラリーのある家」でした。
前の持ち主が手放し、長く空家となっていたその家を
リフォームすることになったのです。
建築家の建てる家は基本的に施主にぴったりのオーダーメイドの
ものです。よくもわるくもそこが個性になっているのですが、
、他の人が入ると違和感があったりします。
そこで長尾さんはもともと建築が持つ強さを生かしながら、前の家族の
空気を除いて新しい空気を入れる「空気の改装」をめざしました。
ここでいう「空気」といいうのは何となく感じる雰囲気のようなもので、
これをコントロールしてリフォームすることで、いろんな変更を加えながらも
多くの人に「何もやっていない」と言わせることに成功しています。
以前、鞆の「桝屋」の庭の再生をしている橋本善次郎さんの取り組みに
ついて書きましたが、再生しながらもとあった空気を大切にするという
点で共通しています。
そして「私」を消しながらも、「私の建築(庭)の空気」は残っているところが
すごいところだと思います。
復旧に徹したり、逆にまるごと一から作り直したりせず、もとあった空気を
いかしつつ自分の空気も加えて新しい空間をつくるには、
もとからあった空気を感じ取れる感性と、そこに自分の空気を加えた時の
状態を想像できる高度な技量が必要だと思います。
私たちの仕事で言うと、すでにお住まいのお家の庭の改修をするとき、
いかに空気を大切にしながら庭をつくれるかが重要だと話しました。
デザイン上なくてもいい樹木でも、実は施主さんの思い入れがあったりするなど、
部分部分にそれぞれ意味があるのだろうと思います。
だからといって、どこにも触れない、何もできないではなく、全体の空気を
読みながら新しさを加えていくことで、庭をより良くすることができると思います。
藤井
「室内」のバックナンバーから
建築家が設計した家を改装して
建築家の長尾亜子さんはある家のリフォームを依頼されます。
それは女性建築家のパイオニアである林雅子さんが設計した
「ギャラリーのある家」でした。
前の持ち主が手放し、長く空家となっていたその家を
リフォームすることになったのです。
建築家の建てる家は基本的に施主にぴったりのオーダーメイドの
ものです。よくもわるくもそこが個性になっているのですが、
、他の人が入ると違和感があったりします。
そこで長尾さんはもともと建築が持つ強さを生かしながら、前の家族の
空気を除いて新しい空気を入れる「空気の改装」をめざしました。
ここでいう「空気」といいうのは何となく感じる雰囲気のようなもので、
これをコントロールしてリフォームすることで、いろんな変更を加えながらも
多くの人に「何もやっていない」と言わせることに成功しています。
以前、鞆の「桝屋」の庭の再生をしている橋本善次郎さんの取り組みに
ついて書きましたが、再生しながらもとあった空気を大切にするという
点で共通しています。
そして「私」を消しながらも、「私の建築(庭)の空気」は残っているところが
すごいところだと思います。
復旧に徹したり、逆にまるごと一から作り直したりせず、もとあった空気を
いかしつつ自分の空気も加えて新しい空間をつくるには、
もとからあった空気を感じ取れる感性と、そこに自分の空気を加えた時の
状態を想像できる高度な技量が必要だと思います。
私たちの仕事で言うと、すでにお住まいのお家の庭の改修をするとき、
いかに空気を大切にしながら庭をつくれるかが重要だと話しました。
デザイン上なくてもいい樹木でも、実は施主さんの思い入れがあったりするなど、
部分部分にそれぞれ意味があるのだろうと思います。
だからといって、どこにも触れない、何もできないではなく、全体の空気を
読みながら新しさを加えていくことで、庭をより良くすることができると思います。
藤井
2013年10月11日金曜日
2013.10.11 親身な姿勢
今朝の勉強会では今後のお客様対応について話し合いが持たれました。
そらに来られるお客様の多くは、新築で家を建てることも初めてなら当然、
外構やお庭を造るのも初めてですので、分からないことばかりだと思います。
分からない=不安な心境を、私たちがどのように関わることで払拭され、
安心して納得のいく家造り、庭造りができるのかを思案しました。
外構や庭となると、どうしても家を建てた後に検討される方が多く、そらへ来店され、
商談を進める中での席で建てた家の良かった点、気に入ってる点は勿論のことですが、
住んでみて初めて気づく悪い点を外構や庭でカバーできないかというご相談を受ける
機会が多くあります。
今朝の話し合いの中ではメンバーから、家と庭を一緒に考えていける環境を用意してあげること、
プラン決定から着工までの間のプロセスをスケージューリングし、共有することで、
不安にさせることなく、期待が膨らむような密接で丁寧なお客様との関わり方を構築して
いけるよう、今後も仕事の進め方の意識を持つように共有しました。
また、個人のスキルも皆が平均的な仕事ができることだけに留まらず、
各々が自分のやりたいことを掘り下げ、より専門的で先駆的な施工開発に取り組むことを
共有しました。
平均的な仕事ではなく、一つのことをより専門的に実践できること、組織自体も専門家集団
として発展し、お客様へより親身に関わっていけるのだと思います。
そらに来られるお客様の多くは、新築で家を建てることも初めてなら当然、
外構やお庭を造るのも初めてですので、分からないことばかりだと思います。
分からない=不安な心境を、私たちがどのように関わることで払拭され、
安心して納得のいく家造り、庭造りができるのかを思案しました。
外構や庭となると、どうしても家を建てた後に検討される方が多く、そらへ来店され、
商談を進める中での席で建てた家の良かった点、気に入ってる点は勿論のことですが、
住んでみて初めて気づく悪い点を外構や庭でカバーできないかというご相談を受ける
機会が多くあります。
今朝の話し合いの中ではメンバーから、家と庭を一緒に考えていける環境を用意してあげること、
プラン決定から着工までの間のプロセスをスケージューリングし、共有することで、
不安にさせることなく、期待が膨らむような密接で丁寧なお客様との関わり方を構築して
いけるよう、今後も仕事の進め方の意識を持つように共有しました。
また、個人のスキルも皆が平均的な仕事ができることだけに留まらず、
各々が自分のやりたいことを掘り下げ、より専門的で先駆的な施工開発に取り組むことを
共有しました。
平均的な仕事ではなく、一つのことをより専門的に実践できること、組織自体も専門家集団
として発展し、お客様へより親身に関わっていけるのだと思います。
2013年10月10日木曜日
2013.10.10 仕上げと下地
今日の勉強会は
仕上げについて
朝の勉強会は、庭の施工についてなど実践的なものから、
論語などの概念的なものまでを題材にしています。
また建築のことや、元気な企業の活動なども取り上げたりしています。
共通しているのは庭づくりに役立つことだということです。
今日から使える知識もあれば、一生かかってわかるようなものもあり、
幅広いですが、なるべく構えずに楽しみながら学んでいきたいと思っています。
そんななかで今日の勉強会は実践的な内容で、
洗い出し仕上げなどについて勉強しました。
実践といっても、作業してもらうのは職人さんなのです。
そのため、職人さんに対する配慮が必要なのはどの部分なのか、
それを積み上げながらも、デザイン上の妥協はしないバランスのとれた
施工をするにはどんな工夫がいるのか話しました。
またそれ以前に、きちんとした準備が出来ているかが重要です。
デザインした本人がその庭を一番把握していなければなりません。
それを図面で示して、現場で意思疎通しておくとその後の
トラブルも防いでいけると思います。
また仕上げと言うと表面の表現のことですが、結局どんな仕上げをしようが
下地が大事で、これを丁寧に行うと、完成時の見た目も、年月が経った時の
耐久性も大きく違います。
取り繕うのではなく、仕上げの美しさから逆算した下地が大切だということです。
藤井
仕上げについて
朝の勉強会は、庭の施工についてなど実践的なものから、
論語などの概念的なものまでを題材にしています。
また建築のことや、元気な企業の活動なども取り上げたりしています。
共通しているのは庭づくりに役立つことだということです。
今日から使える知識もあれば、一生かかってわかるようなものもあり、
幅広いですが、なるべく構えずに楽しみながら学んでいきたいと思っています。
そんななかで今日の勉強会は実践的な内容で、
洗い出し仕上げなどについて勉強しました。
実践といっても、作業してもらうのは職人さんなのです。
そのため、職人さんに対する配慮が必要なのはどの部分なのか、
それを積み上げながらも、デザイン上の妥協はしないバランスのとれた
施工をするにはどんな工夫がいるのか話しました。
またそれ以前に、きちんとした準備が出来ているかが重要です。
デザインした本人がその庭を一番把握していなければなりません。
それを図面で示して、現場で意思疎通しておくとその後の
トラブルも防いでいけると思います。
また仕上げと言うと表面の表現のことですが、結局どんな仕上げをしようが
下地が大事で、これを丁寧に行うと、完成時の見た目も、年月が経った時の
耐久性も大きく違います。
取り繕うのではなく、仕上げの美しさから逆算した下地が大切だということです。
藤井
2013年10月8日火曜日
2013.10.8 道を修める
今日の勉強会は致知から
巻頭の言葉
道を修むる之を教えと謂う
論語普及会学監 伊與田覺
「中庸」は孔子の孫である子思の著作とされています。
そして中庸は次のように始まります。
「天の命ずる之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、
道を修むる之を教えと謂うなり」
天から命を授かったものは使命も同時に授かっており、
使命を果たすための個性(性)を生かすために、
どのように生きるべきか(道)、
それに近づこうとした先人たちの教え(教)に
学ぶものだ。
人として正しい道を歩み、自分の役割を果たせるように
なる第一歩が、道をすでに歩いていた先人たちに
学ぶことだと言えます。
そして先人の教えを学ぶことも、子供たちが国語算数
を学ぶのも、個性を生かして役割を果たすという点で
根本のところは同じだと思います。なぜ勉強しなくては
いけないのかという答えになっていると思います。
藤井
巻頭の言葉
道を修むる之を教えと謂う
論語普及会学監 伊與田覺
「中庸」は孔子の孫である子思の著作とされています。
そして中庸は次のように始まります。
「天の命ずる之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、
道を修むる之を教えと謂うなり」
天から命を授かったものは使命も同時に授かっており、
使命を果たすための個性(性)を生かすために、
どのように生きるべきか(道)、
それに近づこうとした先人たちの教え(教)に
学ぶものだ。
人として正しい道を歩み、自分の役割を果たせるように
なる第一歩が、道をすでに歩いていた先人たちに
学ぶことだと言えます。
そして先人の教えを学ぶことも、子供たちが国語算数
を学ぶのも、個性を生かして役割を果たすという点で
根本のところは同じだと思います。なぜ勉強しなくては
いけないのかという答えになっていると思います。
藤井
2013年10月7日月曜日
2013.10.7 楽しむ君子
今日の勉強会は論語から
子曰く、
君子は諸れを己に求む。
小人は諸れを人に求む。
孔子が言われた。
物事をなすのに、君子はまず自分の力でやろうとするが、
小人は他人に頼ろうとする。
人に頼ろうとするのはたぶん自分が楽しめてない時だと思います。
楽しい時は自分でやりたいものです。
無理やり言いかえると君子とは「いつも楽しんでいる人」
と言えるかもしれません。そしてその楽しさは
結局自分で見つけないといけないのだと思います。
そう考えると君子とは「何事も楽しみに変えられる人」のほうが
しっくりくるのかもしれません。
仕事をしていくうえで、「目標を達成しよう」という言葉はよくつかわれますが、
過剰な目標を立ててかえって意欲をさげてしまったり、単なる言葉になって
スルーされてしまったりしている話を聞きます。
これは結局だれかが決めた目標で、自分で決めたことでは
ないからという当事者意識のなさだと思います。
まず小さな目標を自分で設定し、一つ一つ達成していけばいいと思います。
小さな目標でもクリアしていくのは楽しいですから、今度は目標になりそうな
ことを自分で探すようになります。そうして少しづづ大きなを問題を目標に
据えるようになれば、大きな問題も自分のこととして実感がえられるようになると思います。
そうすれば他の人が立てた目標にも意味があって、尊重しなくてはいけないと
意識し始めます。自分が立てた目標でなくともとにかくやってみようという
前向きな考えが、なんでも楽しみに変えられる一つのきっかけかもしれません。
藤井
子曰く、
君子は諸れを己に求む。
小人は諸れを人に求む。
孔子が言われた。
物事をなすのに、君子はまず自分の力でやろうとするが、
小人は他人に頼ろうとする。
人に頼ろうとするのはたぶん自分が楽しめてない時だと思います。
楽しい時は自分でやりたいものです。
無理やり言いかえると君子とは「いつも楽しんでいる人」
と言えるかもしれません。そしてその楽しさは
結局自分で見つけないといけないのだと思います。
そう考えると君子とは「何事も楽しみに変えられる人」のほうが
しっくりくるのかもしれません。
仕事をしていくうえで、「目標を達成しよう」という言葉はよくつかわれますが、
過剰な目標を立ててかえって意欲をさげてしまったり、単なる言葉になって
スルーされてしまったりしている話を聞きます。
これは結局だれかが決めた目標で、自分で決めたことでは
ないからという当事者意識のなさだと思います。
まず小さな目標を自分で設定し、一つ一つ達成していけばいいと思います。
小さな目標でもクリアしていくのは楽しいですから、今度は目標になりそうな
ことを自分で探すようになります。そうして少しづづ大きなを問題を目標に
据えるようになれば、大きな問題も自分のこととして実感がえられるようになると思います。
そうすれば他の人が立てた目標にも意味があって、尊重しなくてはいけないと
意識し始めます。自分が立てた目標でなくともとにかくやってみようという
前向きな考えが、なんでも楽しみに変えられる一つのきっかけかもしれません。
藤井
2013年10月5日土曜日
2013.10.5 推譲
今日の勉強会は
二宮金次郎より
藩主も農民も、人のために生きなければならない。
二宮金次郎の思想のひとつである「錐譲」とは
一口に言えば社会のために捧げるということです。
分度によって生まれた余裕分を世の中や次世代のために
推譲するのです。
慈善事業と似た考え方ですが、慈善事業が余力で社会奉仕
するのに対し、余力がなくても分度によって余力を生み出し、
積極的に社会に奉仕するのが推譲です。
金次郎は農民だけでなく藩主にも分度を求めました。
これは年貢の引き下げを意味することで、成功するかわからない事業に
成果を前もって与えてしまうことになります。
しかしこれは藩主自から仁の政治を実践するという姿勢を見せることになり、
農民たちの意欲を引き出すことにつながります。
上も変わるのだから自分たちもやろうという考えを多くの農民がもてば、
復興事業の成功への近道になります。
また農民は、分度によって生み出された推譲が村を潤すのを知ると、
自分のためでなく村全体のことを考えて行動するようになり、
人のために動くことが実は自立への近道だと気づきます。
金次郎はいつも自らが進んで実践し、周りの協力を引き出してきた
のだと思います。だからこそ農民が動くのを待つのでなく自分が動くのが
先だということを藩主や農民たちに説いたのだと思います。
具体的な成果を前もって見せて、そうなるためにはどうすればいいかを
自ら実践してみせることができるのが金次郎の強さだと思います。
動くのはまず自分なんだよと言われている気持ちがします。
藤井
二宮金次郎より
藩主も農民も、人のために生きなければならない。
二宮金次郎の思想のひとつである「錐譲」とは
一口に言えば社会のために捧げるということです。
分度によって生まれた余裕分を世の中や次世代のために
推譲するのです。
慈善事業と似た考え方ですが、慈善事業が余力で社会奉仕
するのに対し、余力がなくても分度によって余力を生み出し、
積極的に社会に奉仕するのが推譲です。
金次郎は農民だけでなく藩主にも分度を求めました。
これは年貢の引き下げを意味することで、成功するかわからない事業に
成果を前もって与えてしまうことになります。
しかしこれは藩主自から仁の政治を実践するという姿勢を見せることになり、
農民たちの意欲を引き出すことにつながります。
上も変わるのだから自分たちもやろうという考えを多くの農民がもてば、
復興事業の成功への近道になります。
また農民は、分度によって生み出された推譲が村を潤すのを知ると、
自分のためでなく村全体のことを考えて行動するようになり、
人のために動くことが実は自立への近道だと気づきます。
金次郎はいつも自らが進んで実践し、周りの協力を引き出してきた
のだと思います。だからこそ農民が動くのを待つのでなく自分が動くのが
先だということを藩主や農民たちに説いたのだと思います。
具体的な成果を前もって見せて、そうなるためにはどうすればいいかを
自ら実践してみせることができるのが金次郎の強さだと思います。
動くのはまず自分なんだよと言われている気持ちがします。
藤井
2013年10月4日金曜日
2013.10.4 庭との関わり方
今日の勉強会は
庭2013年冬号より
庭の再生が街おこしへつながる
歴史的な建築との向き合い方
橋本善次郎さん
福山市を拠点に活動する作庭家の橋本善次郎さんは、
鞆の浦で旧家の庭の手入れや再生プロジェクトに関わっています。
鞆の浦に桝屋という坂本龍馬も投宿したこともある
歴史的価値のある商家があります。
しかし長く空家となって痛みが激しくなっていました。
この商家を再生させるプロジェクトに橋本さんが関わることになり、
庭の再生を行っています。
まず橋本さんは母屋と高さのバランスが悪いと感じた庭の地面を
15センチ程り下げ、庭を創建当時の高さに戻しました。
簡単なことのように思えますが、これは橋本さんの庭や建築の知識や
他の古い庭からえた経験があってこそ出来ると感じました。
単にきれいに繕うのではなく、「庭がつくられた時代の空気」を表現しようとする姿は
庭を何百年単位で考える庭師さんならではと思いますし、そこに圧倒的な
知識と技術があって初めてできることだと感じます。
橋本さんは再生を長い目で見ながら、何年もこの庭と共に歩もうとされて
います。そして庭の手入れだけでなく毎年開催されるアートイベントを
企画するなど、庭を通して街づくりまで取り組まれています。
庭も街も何百年と続いていきます。そして庭にも街にもかならず始まり
があります。始まりと未来を意識して、今いる自分たちは何をすべきかを
考えながら、少しでもいいものを残したいと思います。
藤井
庭2013年冬号より
庭の再生が街おこしへつながる
歴史的な建築との向き合い方
橋本善次郎さん
福山市を拠点に活動する作庭家の橋本善次郎さんは、
鞆の浦で旧家の庭の手入れや再生プロジェクトに関わっています。
鞆の浦に桝屋という坂本龍馬も投宿したこともある
歴史的価値のある商家があります。
しかし長く空家となって痛みが激しくなっていました。
この商家を再生させるプロジェクトに橋本さんが関わることになり、
庭の再生を行っています。
まず橋本さんは母屋と高さのバランスが悪いと感じた庭の地面を
15センチ程り下げ、庭を創建当時の高さに戻しました。
簡単なことのように思えますが、これは橋本さんの庭や建築の知識や
他の古い庭からえた経験があってこそ出来ると感じました。
単にきれいに繕うのではなく、「庭がつくられた時代の空気」を表現しようとする姿は
庭を何百年単位で考える庭師さんならではと思いますし、そこに圧倒的な
知識と技術があって初めてできることだと感じます。
橋本さんは再生を長い目で見ながら、何年もこの庭と共に歩もうとされて
います。そして庭の手入れだけでなく毎年開催されるアートイベントを
企画するなど、庭を通して街づくりまで取り組まれています。
庭も街も何百年と続いていきます。そして庭にも街にもかならず始まり
があります。始まりと未来を意識して、今いる自分たちは何をすべきかを
考えながら、少しでもいいものを残したいと思います。
藤井
2013年10月3日木曜日
2013.10.3 国産材の利用
今日の勉強会は
建築知識ビルダーズより
「木材自給率50%は可能か」
赤堀楠雄
現在の日本の木材自給率は外材に押されるなどして30%足らずの状況です。
そこで政府は林業の再生、国土の保全などの観点から自給率を50%に
する目標を定めました。
しかし自給率という数字は海外の経済状況や国内の需要によって
左右されるため、この数字だけが達成されればよいという話ではありません。
しかも日本では現在人工林の林齢構成がいびつで特定の樹齢の木だけが多いため、
需要に任せて切り出していけば一瞬自給率が高まっても、またもとのように
森林が荒れかねないことにもなります。
記事では50%という数値目標よりも、森林の持続可能性を
保つための計画を立て、そのうえで将来にわたってどの程度の
木材が供給できるのかを考えることが重要だとしています。
林業も、生産者から消費者にどのように届いたのかをしめす
トレーサビリティや、生産地での六次産業化など、
他の一次産業と同じ様な課題を持っています。
また強度や含水率を明記した材はまだまだ少ない状況です。
しかし国産木材を使用するメリットは多くあると思います。林業の
活性化や国土の保全などもありますが、やはり日本の風土で育っているものは
日本の建築に合います。
供給側はより消費者を意識して選びやすい状況をつくるべきだと思います。
また買う側も木材に興味を持ってほしいと感じます。
家一軒に対しての木材の価格は思ったより少なく100万円台で、
多少いい材料を使ったとしても大きな数字ではないのです。
更新可能な設備にお金をかけるのか、骨組みである木材に
お金をかけるのか、よく考えてほしいと思います。
藤井
建築知識ビルダーズより
「木材自給率50%は可能か」
赤堀楠雄
現在の日本の木材自給率は外材に押されるなどして30%足らずの状況です。
そこで政府は林業の再生、国土の保全などの観点から自給率を50%に
する目標を定めました。
しかし自給率という数字は海外の経済状況や国内の需要によって
左右されるため、この数字だけが達成されればよいという話ではありません。
しかも日本では現在人工林の林齢構成がいびつで特定の樹齢の木だけが多いため、
需要に任せて切り出していけば一瞬自給率が高まっても、またもとのように
森林が荒れかねないことにもなります。
記事では50%という数値目標よりも、森林の持続可能性を
保つための計画を立て、そのうえで将来にわたってどの程度の
木材が供給できるのかを考えることが重要だとしています。
林業も、生産者から消費者にどのように届いたのかをしめす
トレーサビリティや、生産地での六次産業化など、
他の一次産業と同じ様な課題を持っています。
また強度や含水率を明記した材はまだまだ少ない状況です。
しかし国産木材を使用するメリットは多くあると思います。林業の
活性化や国土の保全などもありますが、やはり日本の風土で育っているものは
日本の建築に合います。
供給側はより消費者を意識して選びやすい状況をつくるべきだと思います。
また買う側も木材に興味を持ってほしいと感じます。
家一軒に対しての木材の価格は思ったより少なく100万円台で、
多少いい材料を使ったとしても大きな数字ではないのです。
更新可能な設備にお金をかけるのか、骨組みである木材に
お金をかけるのか、よく考えてほしいと思います。
藤井
2013年10月2日水曜日
2013.10.2 教育のやりかた
今日の勉強会はクーリエジャポン11月号から
子供を学校に「通わせない」
フランスの親たちの生活と意見
フランスでは16歳までの教育が義務づけられていますが、
「学校に通うこと」は義務ではありません。
そこで学校に通わせずに自宅で勉強させる「ホームスクーリング」
という選択をする親がいます。
もともと親が学校教育に疑問を持っていて最初から通わせるつもりのない
ケースや、また子供たちが不登校になったりしてホームスクーリングに
切り替えるケースなどもあるようです。
学校に通わせないメリットとデメリットをしっかりと解った上で自分たちで
しっかりと学習させる意欲と能力のある親なら、こういうやり方もあるのかな
とも思います。ただ学校に行ったほうが家にいるより楽しそうだと
思う子もいるでしょうし、兄弟でも個性は違うわけですから、一人は通わせて、
一人は家にいるという場合などが出てくると難しそうだなとも感じます。
またホームスクーリングをしている子供たちは学力検査が課せられるのですが、
それを拒否する親と行政の関係も難しいようです。これはいわゆる丸暗記形式の
テストで、その内容と評価のされ方に納得がいかないようです。
そもそもそのような教育に疑問を持っている人たちなので気持ちは
わからなくはありません。ですが独自のやり方をするのであれば
周りとの協調も意識しないと結局子供にしわ寄せが来そうな気がします。
一般的な学力なのか、協調性なのか、自主性なのか、何に重きを置いて
子供たちを教育するのかは色々あっていいと思いますし、様々な教育を
受けた人達が集まれば多様性のある集団も出来ると思います。
しかし大人たちがその何歩も手前のところでもめていては、どんな教育を
しても子供たちは不安だと思います。
藤井
子供を学校に「通わせない」
フランスの親たちの生活と意見
フランスでは16歳までの教育が義務づけられていますが、
「学校に通うこと」は義務ではありません。
そこで学校に通わせずに自宅で勉強させる「ホームスクーリング」
という選択をする親がいます。
もともと親が学校教育に疑問を持っていて最初から通わせるつもりのない
ケースや、また子供たちが不登校になったりしてホームスクーリングに
切り替えるケースなどもあるようです。
学校に通わせないメリットとデメリットをしっかりと解った上で自分たちで
しっかりと学習させる意欲と能力のある親なら、こういうやり方もあるのかな
とも思います。ただ学校に行ったほうが家にいるより楽しそうだと
思う子もいるでしょうし、兄弟でも個性は違うわけですから、一人は通わせて、
一人は家にいるという場合などが出てくると難しそうだなとも感じます。
またホームスクーリングをしている子供たちは学力検査が課せられるのですが、
それを拒否する親と行政の関係も難しいようです。これはいわゆる丸暗記形式の
テストで、その内容と評価のされ方に納得がいかないようです。
そもそもそのような教育に疑問を持っている人たちなので気持ちは
わからなくはありません。ですが独自のやり方をするのであれば
周りとの協調も意識しないと結局子供にしわ寄せが来そうな気がします。
一般的な学力なのか、協調性なのか、自主性なのか、何に重きを置いて
子供たちを教育するのかは色々あっていいと思いますし、様々な教育を
受けた人達が集まれば多様性のある集団も出来ると思います。
しかし大人たちがその何歩も手前のところでもめていては、どんな教育を
しても子供たちは不安だと思います。
藤井
2013年10月1日火曜日
2013.10.1 自然を感じる
今日の勉強会は
致知10月号から
「食乱れて国家滅びる」
東京農業大学名誉教授 小泉武夫さん
小泉さんは資源のない日本において国民の心身の健康は
そのまま国力だと考えられています。
そして特に食料自給率の低下や食文化の急激な変化に
危機感を持っておられます。
伝統食が持っていた食物繊維やミネラルの豊富さが失われ、
心身の健康に悪い影響が出ていると指摘されています。
また食料自給率が低い割に食料廃棄量が多いことから、
日本人が食に対する畏敬の念を失いつつあるのではと
考えておられます。
確かに今は、昔と違って食料の心配をすることは少なくなっています。
ですがそのことで動植物の命をいただいているという基本的な部分を
軽視し、製品の様な目で食べ物を見ていると、人間として大切な
部分をなくしてしまう気がします。特にこのような環境で育つ今の
子供たちの教育は本当に大切だと思います。
今世界では日本食がブームになっています。これは主に健康的で
おいしいといったところが受けているのだと思いますが、もう一歩踏み込んで、
命への敬意があって、食材を丁寧に無駄なく扱っていることこそがクールなんだ、と
主張していけばいいと思います。
そうすれば日本の子どもたちも、日本食を食べる世界の子どもたちも、
自分が食べているものに関心を持てるでしょうし、もっといえば命を
大切にするということを自然に学べると思います。
衣食住という基本的なところは、こどもたちの学びの場として大事です。
そういう意味で「住」の一部である庭も学びの場で、例えば風や雨や気温を
感じられるように、できるだけ自然の材料を使うことを続けたいですし、
それによって流行を超えていく大切なものがあることを感じてほしいと思います。
藤井
致知10月号から
「食乱れて国家滅びる」
東京農業大学名誉教授 小泉武夫さん
小泉さんは資源のない日本において国民の心身の健康は
そのまま国力だと考えられています。
そして特に食料自給率の低下や食文化の急激な変化に
危機感を持っておられます。
伝統食が持っていた食物繊維やミネラルの豊富さが失われ、
心身の健康に悪い影響が出ていると指摘されています。
また食料自給率が低い割に食料廃棄量が多いことから、
日本人が食に対する畏敬の念を失いつつあるのではと
考えておられます。
確かに今は、昔と違って食料の心配をすることは少なくなっています。
ですがそのことで動植物の命をいただいているという基本的な部分を
軽視し、製品の様な目で食べ物を見ていると、人間として大切な
部分をなくしてしまう気がします。特にこのような環境で育つ今の
子供たちの教育は本当に大切だと思います。
今世界では日本食がブームになっています。これは主に健康的で
おいしいといったところが受けているのだと思いますが、もう一歩踏み込んで、
命への敬意があって、食材を丁寧に無駄なく扱っていることこそがクールなんだ、と
主張していけばいいと思います。
そうすれば日本の子どもたちも、日本食を食べる世界の子どもたちも、
自分が食べているものに関心を持てるでしょうし、もっといえば命を
大切にするということを自然に学べると思います。
衣食住という基本的なところは、こどもたちの学びの場として大事です。
そういう意味で「住」の一部である庭も学びの場で、例えば風や雨や気温を
感じられるように、できるだけ自然の材料を使うことを続けたいですし、
それによって流行を超えていく大切なものがあることを感じてほしいと思います。
藤井
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