今日は偉大な庭師、石原和幸さんの本の内容からお勉強。
頼まれごとを何でも受ける。通称イエスマン。
今回の著書にも書いてありましたが、あまりいいイメージではない?ようです。
イエスマンと意味はまったく違いますが、「いい加減」「適当」という言葉がふと出てきました。
それらは「いい加減な人」「適当な人」といつの間にか悪い方に形成されていて、僕のニュアンスだと、どちらも「程よいくらいの加減」と捉えていたのですが・・・。
いい例が「いい加減にしなさい!」とお母さんや先生が説教してそうなセリフ。悪い事でもしちゃったんですかね?とにかく怒られています。そう言われちゃうと悪い言葉の印象が残ります。
本来の使い方か分かりませんが、自分がしんどい時に優しい表情で「無理しなくていいからいい加減にしておきなさいね。」です。こんな素敵な使い方が出来る人口が、僕も含めて増えていくといいなぁ。
さて、話が逸れましたが。イエスマンの話に戻ります。
先ほど「あまりいいイメージではない?ようです。」と表現しましたが、僕自身が悪いイメージがないんです。大事な事は「断らない」のか「断れない」か、だと思うんです。
「断らないイエスマン」は仕事を頼まれて、まずやってみる。そこに何を求められているのか?どう工夫が出来るだろうか?と考えて動けるし、著書でも同じような事が記されていました。
「断れないイエスマン」は仕事を頼まれて、嫌々やることになってることでしょう。もし、頼まれたことが終わったあともきっとブツブツと・・・。すみません、あくまで個人の見解です。
決定的に違う事は、意欲。これに尽きると思います。その意欲は上司にもきっと伝わるだろうし、何より自身の成長に直につながると思うんです。
極論、断るべきことは断るんです。それが一番良い関係をいい意味で築けてるのでは?と、今ふと思いました。本当に他に手が出せない場面で、遠慮をせずに断れる関係。少し美化しちゃいましたが、本当に欲しい形はそれかもしれない。偉大な庭師さん、せっかく読ませていただいたのに、ごめんなさい。
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